地獄の研修で出会った言葉
社会人になって、最初の5ヶ月間は研修でした。新入社員300人が30人前後のクラスに分けられ、毎週のようにIT技術に関するテストを受け、各研修生の点数がクラスの掲示板に張り出され、また、クラスごとに平均点を競わせるというサディスティックきわまりない方法で私たち研修生の危機感を煽られる研修時代でした。しかし、それは同時にクラスの一体感を高め、互いの絆を深められるという側面もあり、今振り返ると、みんな毎日全力で頑張った5ヶ月でした(当時は毎朝、歯を磨くたびに不安と恐怖で吐きそうになってました)
リーマンショックの次の年の2009年に入社した世代なので、どこの会社に行っても働ける優秀な人間を育てようと厳しい研修プログラムだったということを後で知りました。私たちより1つ上の先輩たちは文化祭のような催し物をしたり、運動会などあったのに、私たちの世代はひたすら勉強、勉強、勉強でした。
優秀な人間・・・・・って何なの?と最近思います。研修中に他のクラス(一番厳しいマネージャ担当クラス)に研修生を鼓舞するためにクラス中に貼られていたある言葉を思い出します。
良い環境で自分の力を発揮できる人は普通の人だ。どんな環境でも、力を発揮できる人は優秀な人だ。君は、どっちになりたい?
記憶が曖昧なため、少し文章は違っているかもしれないですがが、当時はこの文章を見て、自分は「絶対優秀な人間になる!」とやる気になったことを思い出します。
皆が優秀な人間を目指すべきか?
現場に出てそれなりに仕事を覚えてきた今だから分かることがあります。確かにまれにどんな環境でもどんど力を発揮して能力を発揮し成功できる人もいます。そういう人たちはパワフルでかつ頭の回転も早く精神的にもタフです。憧れます。本当にかっこいいと思います。
でも、皆がそうなれるわけではないことも年をとるとわかってきます。どんな環境でも自分の力を発揮できる人間を無理に目指して精神的にも肉体的にも潰れてしまっては意味がありません。人生長いですし、仕事だけが全てではないからです。
「どんな環境でも力を発揮できる人を目指すよりも、自分の力を発揮できる場所や分野を早く見つけるべき」それが今自分が優秀な人間を目指す代わりに見つけた答えです。ある程度社会人経験を経れば、自分の強みや、自分が向いていると思う仕事の内容が見えきます。その強みを最大限に活かせる部署や会社があるならそこに行くべきです。そこで働けばさらに自分の強みは磨かれ、最大限のパフォーマンスを発揮できるでしょう。「あいつは~しかできない!」と揶揄する人も出てくるでしょう。でも、そんな奴らの言葉はほっといて自分の強みを鍛え上げ、最強のスペシャリストを目指すべきです。そうなれば「~といえば、~さんに聞けば間違いない」変わっていくはずです。ジェネラリストよりもスペシャリストを目指すべきなんです。その方が仕事は楽しく自分も幸せになれるはずだと今は信じています。
4月に昇格推薦を受け、7月から新しい等級になります。本当に自分を昇格推薦してくれた今の部署の上司には感謝しています。
でも、自分の強みである英語を使える部署に異動しようと思います。英語こそが今の自分の強みであると信じているからです。
部署異動は怖いですが、やらなかった後悔は一生自分を苦しめ続けることを知っています。だから、自分の力を発揮できる環境異動届けを出したいと思います。
目の前にりんごがあって、そのりんごが欲しいと思って手を伸ばすか伸ばさないか。
その違いが人生を面白くもつまらなくもする。
僕が手を伸ばしたりんごが毒りんごではありませんように。
photo credit: lumaxart via photopin cc
コメント