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暮らし

あの君の言葉、どこに仕舞えばいいだろう

2020/10/05


プロローグ

どうしてこんなに言葉が足りないんだろう。大切なことを伝えたい時には、いつも小学生の時より言葉が足りなくなるわ。

金城一紀著 「対話篇」 より

10月のロンドンは日本よりも寒く、秋の到来を感じます。イギリスらしさを謳歌するためにバッキンガム宮殿を訪れてマーチングを鑑賞したり、ハイドパークと呼ばれる大きな公園で自然に囲まれたりして気分転換しながら過ごす毎日。いつかここにまたくることがあるだろうか、そんなことを感じながらロンドンの街を歩く2018年10月。そう、僕はロンドンにいた。そして、2020年10月、僕は日本のカフェでこのブログを書いている。

本来なら9月1日からロンドンに赴任予定だったのに今も日本にいる。

僕は10月まで何をしていたのだろう。

1月〜3月

1月は担当しているシステムで大規模なトラブルに見舞われ、残業や深夜コールに追われ忙しい日々を過ごしていた。1月4日は有給を取っていたので、久しぶりに清水寺に参拝しにいった。始まったばかりの2020年。残りの日本の生活をどのように過ごそうかと思いを馳せながら京都にいた。その時は、1月がこんなに地獄の忙しさになるなんて思わなかった。

2月は相変わらず1月のトラブルが尾を引き、忙しい日々が続いていた。そんな中でも、なんとか有給を取り、目の手術を受けることに。手術は怖かったけど、普段体験をしないことを体験できること自体が貴重で、面白い体験だと手術直前には思えるようになれた。ポジティブシンキングだ。

3月、コロナウィルスの問題が深刻化する中、在宅勤務の環境整備を急ピッチで進める必要があった。また、それと同時に3月いっぱいで部署を異動することになっていたので、自分の業務の引き継ぎで追われて、最後の最後まで忙しかった。

「ありがとう。わたしはね、強い人間になりたかったの」と彼女は薄い笑みを浮かべて、言った。「どんなことがあっても好きな人を守ってあげられるような人間にね。好きな人が哀しんでたら、そんなのたいしたことないのよ、だってわたしがいるじゃない、っていってあげられるほど強くなりたかったの」

金城一紀著 「対話篇」より

4月〜9月

4月1日付けで部署を異動。ロンドン赴任までの5か月間はグローバルビジネスを推進する部署に籍をおき、実際には海外との関連部署でOJTとして働くことになっていた。ロンドンに赴任した際の仕事をスムーズに行えるように考えれらたOJT期間である。OJT先は、異動前の部署の違う課。そこで大きなPJの一員として加わることに・・・・

異動する意味あったんだろうか?

と思いつつも、リーダーとしてはPJに参画しているわけではないので、今までよりも比較的多くの時間ができた。ここ3年くらいはずっと忙しく過ごしてきたせいで暇な時間との向き合い方が分からなかった。しかも、世界はパンデミック、ロックダウンとコロナウィルスが猛威を振るい、ロンドンの赴任がどうなるかわからない状況に僕は毎日イライラしていた。

5月~7月にかけてはOJT先でのPJが急に忙しくなった。これは、OJTとして参画している立場の俺がする仕事なのかと思うようなことが多々あったが、PJは納期が決まっているし、人がいないので仕方なく引き受ける仕事も多く、急に忙しくなった。忙しくしている方が将来のことを考えたりコロナのことを考えなくていいので、それはそれで気が楽だった。でも、本当にそれでいいのだろうか?未来に対する一抹の不安がよぎっては消える毎日。季節は夏に。

8月、予定していた5か月のOJT期間が終了した。あまり自分のスキルが上がった気がしない5か月間だった。OJT先の部署のPJには関わりたくないと思った夏の終わり頃。僕は36歳になった。

9月、ビザの取得は進んでいるものの、本来の予定通り9月には赴任できず、結局8月までと同じPJに参画することになる。PJ参画の継続は勝手に上司に決められており、文句の1つも言いたくなったが、誰のための文句かわからず止めた。

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そして今

10月も相変わらずPJで忙しくやっている。ビザは最短で12月1日で入国可能と人事から連絡がきた。一方、欧州のコロナウィルスの状況をみていると第2波まっただ中で、イギリスも再度のロックダウンが計画されているなどの報道もあり、自分はいつロンドンにいくべきか分からなくなった。もう、もはや考えることからも本当は逃げたい。疲れた。

とはいえ、自分の意志を上司に伝える必要があった。上司に伝えた希望渡航時期は冬を超えて、3月か4月に行きたいと伝えた。ロンドンにいった途端、ロックダウンな状況は一番最悪のシナリオだ。それを人事に伝え、人事が海外現法と調整をしていて、その結果待ちという状況。

僕はどうして海外にいきたいんだろう?何度も自問したうえで出た答え。今とは違う視座を得たい。日本で過ごしていては得れない視座。もしかしたらそんなものはないのかもしれないけど、行ってみないと分からない。でも、本当は今も悩んでる。

今年は悲しいニュースが多い。皆が望む幸せの形が同じなら苦労しないのにね。

「あした、死ぬとしたら、何をする?」Kはノブにてをかけたまま、ゆっくりと振り向いた。その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。「死ぬもんか。あしたもあさっても生き延びる」

金城一紀著 「対話篇」より

 

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